のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

背中を押された気分であった

理学療法士の道に進もうと思った時期は高校2年生の秋だった。前期後期の学校で、前期は単位を落としまくって、体育と英語だけ履修した記憶があります。
その後、三者面談があり、成績表から何から担任に並べられ、学校辞めるたら?と言われた記憶があります。
辞めるか辞めないか夏休みに考えて、辞める気がないなら、進路を決めてくる、どの道に進むのか、分野、学科まで決めてくる、夏休みの宿題にしなさい、と言われた記憶もあります。
酷い担任でしょう?でも恩師なのです。でも、この当時は大嫌いでした。
「しゃーないなあ、一応考えるか…だるいけど」
そうして、寝転がりながら、ガラケーでポチポチと調べては、興味ありとなしにわけるという作業をしました。
結果的に残ったのは、医療福祉の分野が圧倒的でした。
その頃、暇潰しに、なんとなく、電子書籍で読んでいた本がありました。ほんとうになんとなく購入して、軽い気持ちで読んでいました。
それが、その本です。

読後、余韻が残りました。そういう本はわたしにとって当たりの作品なのです。
その余韻に浸りながら、ふと思ったのです。
「わたしも人を治療したい、この手で」と。
同時に「元気な人が何らかの理由で機能低下を起こし、そこから元気になる、その過程を見たい」とも思いました、不謹慎ですが。

最終的に理学療法士の道に進むと決めて、夏休みの宿題を終えました。この本が、背中を押しました。


例えば、脳卒中になります。麻痺が出ます。
では、なぜ健康な人が脳卒中になり麻痺が起こるのか?
そもそも脳卒中とはなになのか?体内で何が起きて脳卒中になり、麻痺が出るのか。障害が出るのか。
脳卒中になりました。1週間、1か月…と月日が経ちます。
どういう経過を辿るのか?なぜ、そういった経過を辿るのか?体内では何が変化しているのか。
リハビリをします。機能改善します。なぜ、そのリハビリをすると機能改善をするのか?体内で何が起きたのか?

こういうことが知りたかったのです。
そして、自分の手で患者さんが社会復帰する、素晴らしいと思いました。
今でも、考えると楽しいです、少し。
理学療法士の世界が嫌いでリタイアしましたが。

そうして、理学療法士として必要になるであろう科目を履修していきます。それが3年生です。
その科目のひとつで生物がありました。それが、三者面談の担任でした。大嫌いでした。
でも、1年、講義が終わる頃には、それまでにいろいろとあって恩師と思えるようになりました。

結局はこんな有り様ですか。
自分で言うのもバカですが、当時は仲間の誰よりも上を行っていました。仲間を引っ張り、仲間が追ってくる。
それが、今では、その仲間の誰よりも下を這っています。
そして、その仲間との縁も細く細くなって。誰も、わたしが、こんな地べたを這っているなどの思ってはいないでしょう。意識にもないだろうし、わたしのことを思い出すことすらあるかどうか。

恩師と思えるひとは何人かいます。高校のころの先生。意外にも実習先のバイザー、ひとり、恩師と思えるひと、いるのですよ。
でも、その恩師の方々には顔向けできません。

まるで、土足で顔を踏むような気分ですから。

今では、ただ生きているだけ。

生きているだけで、良いこと。

でも、人間。生きているだけではダメなのですね。

このまま、地べたをズルズルと這い続けるのかなあ…なんて。

でも、地べたをズルズル這うのも辛いものなのですよ。
なぜなら、お腹がずる剥けになりますからね。
ほら、摩擦で。
















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