のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

放っておけば良いものを

わたしも放っておけば良いものを。
聞き流せば良いものを、そうはさせてくれぬおば様。有り難迷惑なことに、耳にきちっと引っ掛けてくださる。
程度の低いことを大層にいちいち言ってくださることには、もう慣れたが。
お店のためを思うが故に、程度の低いことをいちいち大層に言ってくださっているそうなので。それにはもう慣れたが。
とはいえ。あの人の思考回路と物の捉え方と自己評価にはついていけぬ。

あのお方は、この世で一番、自分が可哀想だと思っていらっしゃる。わたしが思う種類の「可哀想」とは違う種類の。
心の貧しいお方である。

世の中、黙っているだけでみなそれぞれ事情を抱えている。いちいち言葉にしないだけで。する必要もない。
その辛さや大変さの程度など、人それぞれ。
そういうことがわからない。

おば様とおば様の配下が、この世で一番苦労していると思っているのである。

医者から仕事をセーブしろと言われたそうである。それを嬉々としてべらべらと有り難迷惑なことに、語ってくださった。
夜のシフトを削って、2連勤や3連勤にするそうだ。その削ったフォローは誰がする?

当たり前のように誰かがフォローしてくれると思っている。なぜならおば様「様」だからだ。
えらい病気を患いながらもお店のために体を犠牲にしてまで尽くす献身的でお客思い、お店思いの、とても素晴らしい「わたし」と思っているからである。そして、配下もそう思っている。
故にフォローしてくれることもすることも当たり前だと思っているのである。

だったら、さっさと辞めてしまえ。

と思うわたしは冷酷か。ロッカーにホウレンソウを入れておいてやろうか。きっと、皮肉の意味にも気がつかないだろう。

一人が欠けるということは、人員を入れない限りは、誰かが二人分の役目をするということ。
そういうことも知らない。なんと、おめでたいことなのか。

そういうことを嬉々としてべらべらと有り難迷惑なことに、人の貴重な10分休憩に語ってくださった。

あなたは医者から仕事をセーブしろと言われたのだろうが、わたしは医者から仕事を辞めろと受診のたびに言われているのだ。
誰か様のおかげで。

あなたには養ってくれる旦那様もいて、面倒をみてくれる娘様が二人もいる。家族も同然と常日頃言っている同類のお友達も面倒をみてくれるだろう。「障害」という世の中の恩恵も受けている。仕事を辞めてもあなたの病気は治らないが、辞めても何の心配もない。死ぬまで。

わたしは仕事を辞めれば治るが、治すために仕事は辞められない。辞めるときは、捨て身だ。

悪いが。大層にべらべらと病気のことを語ってくださっても。わたしの心には何一つ響かない。1年前の勤務初日のときも、今も。
曲がりなりにも。下らない世界で2年。叩きのめされてきたのだ。
ただの「病気」でしかない。

パーキンソンの四大兆候。
無動 姿勢反射障害 安静時振戦 固縮
そして自律神経障害

その程度でしかないのだ。
そういう世界に曲がりなりにもいたのだ。

そういうこともわからずに、べらべらと止まらぬそのお口から出る言葉が。わたしの耳に引っ掛かり、わたしの耳を引き裂くのだ。わたしの「にこにこ穏やか」スイッチの線と共に。

千と千尋の神隠しで。「働かせてください」という千尋の口を。空中で指をついっと動かして魔法の力で閉じてしまう湯婆婆のように。

わたしも一度、開かぬようにしてやりたいわ。

なんて。ろくでもないことを思うと。
罰が当たって。自分にかえってくるのだろうか。

おば様が仕事をセーブしなければならなくなったのは。
わたしがサボっていると大騒ぎをして、わたしを困らせたは良いが。いろいろとあった結果、お店で居辛くなり。その精神的なストレスが原因で病状が悪化したからである。
してやったものの、自分にかえってきたのである。

わたしも、いつかはかえってくるのだろうか。

傍迷惑だと思うことも罰当たりであろうか。