のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

堪忍袋

堪忍袋の緒が切れる。緒どころか袋まで、はち切れる。
それで効果があるのなら。いくらでも、堪忍袋が満杯になったら、緒も袋も壊れたっていい。
だが、堪忍袋の緒も袋も壊れたって、なんの効果もないのなら。緒や袋が壊れないように、中身の量を自分で出し入れして調節するか、壊れてしまったのなら、自分で縫って修理するしかないのだ。

また、納豆。今度は納豆。ルーレットですから。投げて当たってみないとわからないのと同じように。出勤してみないとわからない。

平気で遅刻してきた。それは、もう今に始まったことではない。こいつは、なんとかタイムといって、日本から見ると、電車やバスが時間通りに来ないような海外の時間にルーズな文化と同じで。納豆タイムなのだ。

その次だ。納豆が遅刻してきて、いつ来るかわからないので。それもドタキャンの可能性もあって。納豆とペアになる者は、必ず初っぱなのレジに当たる。時間柄、食品の値引きもあるけれど、他のペアだと。レジでない人が行くが。納豆の場合は、納豆自身に「値引き」という概念がないため。納豆とペアの者は、値引きに行ってからレジに行く。つまり、いくらか、タダ働きをするはめになる。
ここまでも、今に始まったことではない。要は納豆タイムと同じことである。

5時間で1時間毎にレジを交代すると、片方が1時間分、レジの回数が多くなる。そのため、1時間半と1時間にわけて、平等に2回のレジで良いようにする。
初っぱなの1時間半。納豆は何をしていたかというと。言わずもがな。今に始まったことではない。今に始まったことではないが、こいつが何も言われず、なにゆえわたしが「サボっている」と叩きのめされなければならないのか。都度都度、不思議である。納得がいかない、なんてレベルは通り越した。
わたしの1時間半が終わり、納豆とレジを交代する。
30分で飲料を補充し、30分で2度目の食品の値引き、30分でお酒類の補充。この間で、本来なら「慈悲」で有り難くいただける「10分」の休憩に行くことができるが。そんな暇はない。
やることはたくさんある。ペアが納豆だからゆえに、他のペア以上に。納豆が最初の1時間半にいくらかしてくれたら、なんてレベルは通り越している。わたしがせねばならない。ここでせねば、また。「サボっている」なのである。
途中、レジ応援に呼ばれる。人に「一人や二人で呼ぶな、みんなレジの応援に来られるほど暇ではない、みんな忙しいのだ、やらないといけない仕事があるのだ」と言った同じ人間が一人並んだだけで応援である。だか、今に始まったことではない。
1時間半などあっという間である。
レジ交代のためにレジに戻ると、納豆からの一番の言葉。「遅すぎる!!!!」
時計を見ると2分遅れ。おまえの遅刻は「遅すぎる!!!!」には入らないのかという言葉は飲み込むが、返事はしない。そこまでわたしは大人ではない。
レジ交代直後、すぐに納豆は徘徊をする。仕事ではない、徘徊である。少し徘徊をしてから、レジに戻ってくる。戻ってくるなり、納豆は…。ここで、わたしの第一沸点であった。吹き零れである。
「なんべんもなんべんも言ってるけど。引き継ぎノートに印鑑押しーや。」
わかってます、とわたし。敢えて押していないわたし。だが、読んでいる。
「わかってるねんやったら押しーや!!!」と納豆。
ちゃんと読んでますから、とわたし。
「読んでんねんやったら押しーや!!!」と納豆。
「読んでるけど印鑑押してないみたいですよって言っていいねんな!!?」と納豆
吹き零れたわたし。「わかってますって!!!」と一言。
納豆はよほど腹が立ったのだろう。そのまま徘徊に戻る。
引き継ぎノートは、内容を読む物であって。印鑑のあるなしを見るノートなのか。そういう「引き継ぎ」なのか。誰の印鑑あって誰の印鑑ありません、と。引き継ぐためのノートなのか。わたしの一度、吹き零れた頭はなかなか冷えぬ。腹が立つわたしは、引き継ぎノートのすべての項目に印鑑を押す。人の印鑑の上から印鑑を押す。一度、押してある項目にも押す。1項目に2個3個と押してやる。これで満足か、と。
その後は一応、仕事上である。お互い普通の「ふり」をして仕事をする。
閉店後、納豆は閉店後の仕事もそこそこにさっさとタイムカードを押して裏に行く。まだ、やることはあるにも関わらず。
わたしもタイムカードを押して、裏に戻ったころには、納豆は身支度も半分が終わっている。裏でもする仕事はまだある。その仕事が終わったわたしが身支度をしていると。
「店長、わたし先に帰ります!!!」と、わたしにお疲れ様もなく、わたしを無視して出ていこうとする。一応、お疲れ様ですとだけ言うわたし。
いつもなら、ペアは一緒に外に出る。出るときに、社員がシャッターの鍵を内から閉める。金庫の整理をしていて、危険性があるため。店長もそのつもりでいるので。金庫の整理を止めて「あれ、わたしは?」と店長。まだです、とわたし。それで悟った店長。店長は仕事に戻る。納豆は一人、バーンとシャッターを開けて、バーンとシャッターを閉めて帰る。
黙って身支度をしているわたしに。寒いからちゃんと防寒しとかないとな、と穏やかに店長。外、雨が降って空気が冷たくなってますからね、とぼそっとわたし。また鼻炎酷くならんように暖かくしとかないとな、と穏やかに店長。
そして帰るわたし。いつもよりかなり穏やかにお疲れさんと店長。少し、吹き零れがおさまるが。
しかし。自転車に乗っていると、また吹き零れてくる。途中で煙草とライターを買った。家に帰ればあるが。楽屋に寄ってから帰るので。すぐに帰るわけではない。
灰皿のある他企業のドラッグストアで煙草を吸う。こんな思いで吸った煙草は初めてである。
デパスよりも役に立つ。少し吹き零れがおさまるが。しかし、また吹き零れてくる。ドラッグストアでコーヒーと甘藍のおかずを買って。
外に出たあと。コーヒーを飲みながら、煙草を吸った。肺の奥の奥まで吸い込んだ。
だか、怒りはおさまらぬ。いつもなら、外の片付けでぶつくさと文句を言っていると、少しはマシであるが。印鑑事件では、怒りが大きすぎて。ぶつくさと文句を言いながら片付けもできぬ。
いつもなら、帰りにウロウロして自転車に乗って帰るころには、少しはマシであるが。そうもいかぬ。
たまりにたまった堪忍袋の中身は、今日で袋がはち切れ、緒が切れる。

それで効果があるなら良い。だが、逆効果なのである。反逆者扱いになるのである。
結局は、堪忍袋の中身を調節するか、自分で壊れた袋を修理するか、なのである。なんにせよ。余計な労力が必要なのである。
やつらは、感情任せにやりたい放題である。さぞ、堪忍袋もすっからかんであろう。
今にもはち切れそうだなどと言おうものなら。それは堪忍袋ではなくて「我が儘袋」である。

やつらが団結するには、一人をターゲットにして、その思いを共有しなければ団結できぬ、ちゃちな人間共なのである。
まあ、それが人間の本能であるが。人間には理性というものもなかっただろうか。わたしの、ただの気のせいか。そうか、気のせいか。わたしも無知である。

店長がいつも5個発注するパンをミスで88個発注した。お店のみんなが見たいと言うので、早出の社員さんが写真係りとなった。その話をしているのは知っていたが、わたしを透明人間のようにお話をしていらっしゃるので。聞いて聞かぬふりをしていた。閉店後。知ってる?とA。なんのことだ?とわたし。
実は店長が発注ミスで…とA。写真見たいですね!とわたし。でしょ?とA。社員さんに頼んでるの、とA。
翌日、無事に写真は撮れたらしい。
翌々日、出勤すると。後輩にこう言われる。
「聞きました?店長発注ミスで…」と。
そうみたいね、とわたし。「Aさんからラインで写真来たんです」と後輩。
そうなんや、とわたし。ああ、そう来たかと心のなかのわたし。
Aはお店のみんなの連絡先を知っている。わたしを含めて。
わたしだけ、のけ者にされたのである。

夜の人間は。A、おば様、納豆、後輩。
そこに昼のおば様2。
他はお昼に3名いるが、今のところ無害である。

無害でないこの5名はおば様感染症で病気なのである。

どこまで菌をばらまいてくれるのだろうか。

ルーレットである。当ててみないとわからない。出勤してみないと誰が次は何をやらかしてくれるのかわからないのだ。

堪忍袋など、とうにはち切れているわ。
それを自分で修理しながら、自分の親世代に合わせてやっているのだ。レベルの低い、年齢だけ無駄に重ねている、親世代のおば様感染症共に。

どうせ今日のことも。連絡網である。

勝手に連絡網しておけ。

わたしは稼ぐだけだ。誰が辞めてやるか。
わたしをなめるな。叩きのめされ過ぎて潰れたわたしは、今度はしつこいぞ。

さて、次は火曜日である。
火曜日はAである。どう来るか。
後輩もいる。例の勤務時間を削られた火曜日である。
勝手になかよしこよししておけ。

よほど居心地が悪いのだろう。
わたしをなんとかしたくて仕方がないのだ。

やつらの中で暴風警報でも出ているのであろう。

新しい風なんてものではない。
わたしは暴風である。