のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

母への苛立ち

母は精神的に丈夫な人ではない。
いや、昔はわりと丈夫であった。それは若さがあったからに違いない。もとの性質は丈夫な人ではない。

私よりも心のこじれた人である。私以上にこじれた人である。
すぐ激昂する。時間が経てば嘘のように落ち着く。
少し強めに私がものを言う。すると、すぐにしょぼくれる。または激昂する。
外で何かがある。すぐに、しょぼくれる。
祖母ともめる。すぐに激昂し、その後しょぼくれる。

今の母はしょぼくれモードである。
きっかけは知らぬ。

しょぼくれモードの母は、辛いアピールをする。
辛いですとため息をつき、辛いですとのろのろ動き、辛いですと我が儘を言い、辛いですとアピールしながら会話の受け答えをする。
世の中で一番辛いのは自分だと言わんばかりの。
世界は自分だと言わんばかりの。

すると私は母に苛立つ。辛いですアピールに苛立つ。
なぜ苛立つのかはわからない。

母に苛立つ私は言葉が強くなる。
母は激昂するかしょぼくれる。

すると私はまた母に苛立ち、さらに言葉が強くなる。
そして母はまた激昂するかしょぼくれる。

このループにはまると、暫く出口は見つからない。

話は変わるが。この我が儘気質は祖母に言わせれば、母の父親譲りだそうで。
わたしが見る限り、ならばわけもなく激昂してしょぼくれる気質は祖母譲りではなかろうか。
祖母もそういうところがある。

この二つをきっちり譲り受けた私は。
我が儘、激昂、しょぼくれと母そっくりである。

祖母の両親は知らない。どこが始まりかは知らない。

だが少なくとも。祖母・祖父(母の父親)から始まっていることは間違いない。
性格は先天的なものもあるが、後天的なものが大きくしめるといって、生後、人生で経験してきた物事で性格が決まってくるそうな。

自分の上を見ていると。
先天的なものにいらぬものが後天的にくっついてきたようにしか思えない。

因みに、祖母は再婚しているので、母の父親には会ったことはない。私がいつも話に出す「祖父」は血縁的には他人の祖父である。互いに子連れで再婚。
祖父は実の息子やその息子の孫よりも、私達姉妹を可愛がった。もう亡き祖父である。

話を戻して。

母は躾と言って、よく。
外に出したり、手足を出したり。物が出てきたり。
言葉もあった。父のとばっちりも受けた。
でも、母に言わせればすべて躾。

私に言わせれば躾ではなく、母がもつ「激昂」のスイッチが入っただけにしか思えない。

父にも私と同じことをしていた。
無茶苦茶であった。なんでもありであった。
物を投げる、捨てる。キッチンのお皿を投げる、冷蔵庫の物を無駄にぶちまける、そばにある物を投げる、大事なものを壊す、ありすぎて逆に思い付かない。

そう育ってきた私は母と同じ気質を譲り受けた。

仮に結婚し、子供ができたとき。わたしは同じことをするだろう。

同じように生きるのだろう。