のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

たわしが嫌われる理由

今日はロング出勤の日。さっきお仕事が終わって、コンビニ寄って、コーヒー購入。
今日はほんとの贅沢で、雪印ではなくて、マウントレーニアにしました。やっぱり違うね。
ミルクたっぷりクリーミーラテにしました。
そしていつもの場所でスイッチOFFタイム。タバコを吸いながら高級(笑)コーヒーを飲みながら、ブログを書いています。
わたしのスマホは大きめで、片手入力ができません(わたしの手が小さいだけか…)。そういうわけで、片手にタバコを持っているので無理して片手入力したらタイトルの「わたしが嫌われる理由」が「たわしが嫌われる理由」になりました。これはこれで、詩的なタイトルで良いかもしれませんね。なんだそりゃ笑
あ、なんか気に入りました。というわけで、タイトルを「たわしが嫌われる理由」に変えます。
みなさんは、きっと、ここまで読んでやっとタイトルの意味がわかるでしょう。
納得していただけましたか?😂笑

今日はロングなので。お昼のスタッフとも夜のスタッフとも重なります。
この前。商品の在庫を保管している台車がぐちゃぐちゃでした。商品を出すときは、その台車をひいて売場まで行きます。そして、そこから出します。
さて、出そうかと思ったら。ぐちゃぐちゃでした。
あら、散らかってるね程度ではなくて。まず片付けないと商品が出せない。ぐちゃぐちゃ過ぎて、台車に何があるのかわからない。ほとんどいつもぐちゃぐちゃで。といっても「あら、散らかってるね」程度でした。だから、いつも商品を出しながら、整理して、出しやすいように、しまいやすいように…と、時間はかかるけれど。いつも整理していました。でも、この度は酷くて。整理してからでないと、出せない。いつもいつも片付けても「あら、散らかってるね」になる。おまけに今度はこんなレベル。ぐちゃぐちゃを一気に片付けるから時間がかかるし、ぐちゃぐちゃだからしまうのも大変でぐちゃぐちゃになる。でも、一度、片付けた状態を都度維持していれば、片付ける量も少しだし、出すときも楽だし、しまうときも楽だと思った。思ってるから、いつも片付けていた。だけど、いつもぐちゃぐちゃになる。そして…。
少し気を付けるだけでぜんぜん違うのに。どうして、みんないい加減なんだ。「まあいいや」や「時間がないし」が積み重なるから、ぐちゃぐちゃになる。少し、考えてほしいなと思って。スタッフの引継ぎノートに書きました。
「台車がぐちゃぐちゃでした。時間がなくて、商品も多いし、出すときも片付けるときも大変だとは思います。だけど、その都度綺麗にしていけば、出すときも片付けるときも少し楽になるのではと思いました。時間がなくて、商品も多いくて大変だとは思いますが、頭の端にでも置いておいていただけると助かります。ご協力よろしくお願いいたします。」
と書きました。書きかた、嫌味っぽかったかな。
あれから何日経つだろうか。誰一人、読みましたのハンコ押してくれない。しばらくして、社員さんがあとに引継ぎノートを書きました。そのあとも、書きました。そこにはみんなそろってハンコを押しています。わたしのところは、まっ白です。
たった1年ちょっとの人間は引継ぎノートに書いてはいけないのか?言われて当たり前のことなのに。
黙ってなければならないのか。こうすれば、少し効率が良くなるのではと思ったのに。わたしが言ったり書いたりすることは、すべて気にくわないのだろう。
誰だろうか。ハンコを押せ押せとやかましく言った人間は。「読んでてハンコわざと押してない」ってみんなに言うぞとやかましく言った人間は。
わたしは別次元なのか。

わたしが嫌われる理由その1。
おかしいこと気になることは言う。
配下にはならない。

きっと生意気、偉そうにとみなさま捉えられたのだろう。そのノート以降。もちろんずっと夜のスタッフは露骨だけれど。お昼のスタッフも態度が変わった。笑い話なのか嫌味なのか。「納品たくさんあったから、台車がぐちゃぐちゃ。するなら気長にどうぞ」と言われた。
わたしは凄いよね、と自分で言って恥ずかしいですが。なんだかんだあっても、まだあそこに出勤している。
仮にデパス依存にならなくて、受診もしなかったら。とっくに辞めていただろう。デパス依存のおかげで受診して、ジェイゾロフト飲んでいるから、続いているのである。ジェイゾロフトが感受性をぼかしてくれているから。
ムカつくムカつくと言いながらも、出勤できるのだ。ジェイゾロフトサマサマである。

わたしが嫌われる理由その2。
イエスマンになれない。

その1から繋がることで。おかしいこと気になることはスルーできないので。なんでも「はい」で済ませない。だから生意気で目障りなのだ。

わたしが嫌われる理由その3。
悪くないことは謝らない、許さない。

その2から繋がることで。イエスマンになれないから、悪くないことは謝れない。
昔から、そう叩き込まれたのだ。母に。
悪いと思っていないなら謝るな、悪くないことに謝るな。自分が正しいと思うことは曲げるな。
それ故、イエスマンになれない。
だから、生意気で目障りなのだ。

わたしが嫌われる理由その4。
他人の機嫌とりができない。
その1から3すべてがここに繋がる。
おかしいことは許さない、悪くないことは謝れない、なんでもかんでも「はい」で済ませない。
だから、生意気で目障りなのだ。

そういうわけで。わたしは、どこへ行っても、馴染めず続かず、嫌われる。そして、めんどうになって、うっとうしくなって、嫌になって辞める。
でも、今はもちろん。めんどうだし、うっとうしいし、嫌になるけど。辞めようとは思わない。
そりゃあ、辞められない理由はある。愛犬くんのお世話をしなければならないし。クレジットや学費の借金返済もある、スマホ払わないといけないし、ほかにも支払いがある。辞められない理由はある。
でも、それが辞めようとは思わない理由ではなくて。ほんとうに辞めようとは思わないのだ。
ジェイゾロフトのおかげである。
「ほら、やるならどうぞ」と。「そうくるなら、こうしてやる」と。押さえつけられて押さえつけられてペタンコになりかけて。きっと、みなさまは「もうあと一歩で終いだ」と思っただろう。
そのあと一歩のところで、ジェイゾロフトとはじめまして。そしたら、今度は強力なバネのように。
「このまで押さえつけたから、もう手を離しても上がってこられないだろう」と手を離したら。バーンと跳ね返ってきた。
だから、みなさまにとって、ほんとうに目障りで生意気でうっとうしいのだろう。
わたしが声をあげる度に。今まで何十年も自分たちのやりやすいように好き勝手してきたことが、通用しなくなる。好き勝手できる環境を守りたい。
そういう意味でも目障りなのだろう。

でもねえ。もういい加減にしてほしいよね。
ほんとうに飽きもせず約1年。ずっと手を変え手を変え、いろいろとしてくださるけれども。
こちらもマンネリ化しなくて良いけどね。
でも、いい加減、こちらもうっとうしいよ。
わたしは鏡のようなものです。鏡に睨み付ければ、鏡から睨み付けられる。鏡に睨み付ければ鏡にうつる自分の顔が睨み付けた顔で、まるで鏡に睨み付けれているような感じ。笑顔も同様。
わたしは鏡みたいなもので。相手が目障りだと思って接してくれば、わたしも目障りだと思って接する。相手が親身に接してくれば、わたしも親身に接する。
わたしは山びこのようなものです。あーと叫べばあーと返ってくる。相手がこのやろう!と叫べば、わたしもこのやろう!と叫ぶ。相手がありがとう!と叫べば、わたしもありがとう!と叫ぶ。

これがわたしの嫌われるその5である。

というわけで。わたしの居場所は日に日に狭くなっています。そんな中で唯一の救いは。
笑顔で親切に接してくれるお客さん。お客は嫌いだけれど。嫌いだけれど、唯一の救いでもある。

今日はそんな一日でした。

そろそろ、退散して帰宅します。現在、23時20分。

お香が届きました。愛犬くんのおもしろいおやつ見つけました。また写真を撮って記事にしたいと思っています。
思っていますが、今日はこんなうっとうしいお話でしめます。

では。
帰りまーす😘

こんな時間まで何をしてたんだと言われそう~泣

誤字脱字あればごめんなさい。
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