正体
現在、8時15分。
本日は午前診察で、ジョイさんに会いにいきます。10時半…最低でも11時には起きないと間に合わない。
本音は行きたくない。行きたくないと思えるということは、それほど良くなっている証でもある。診察で伝えることはない。
いや、探せばある。細かなものはいくらでも。
だが、伝えても意味はない。ゆえに、伝える必要もない。というわけで。
伝えることはなにもない。
お薬さえ貰えれば良い。効いているのか効いていないのかはさっぱりわからないが。
ないよりはマシであろう。
デパスさえ貰えれば良い。
ジョイさんは、わたしの過去を知らない。今しか知らない。それは伝えていないからであるが。伝えたところで、でもある。
わたしは、わたしの性格さえ変われば、病院から卒業できるそうである。
ゆえに、性格や考え方を変える、気分転換、そういうことを言われる。
確かにそうだ。それさえ変えることができれば。
なにもお薬など必要ない。
そんなことは自分が一番、わかっている。
自分は他人からしかわからない、自分で的確な自分の評価や分析などはできない。
されど。なにも考えずなにも評価せず。なにも分析せず、今まで来たわけではない。
人が思う以上にわたしは自分のことがわかる。
けれども。ひとつだけわからない。
わたしの正体は何だ。
病気である苦しみは一生、それと付き合わねばならぬということ。
病気でない苦しみは、今起きている問題や不調はすべて自分の性格によるものだと認めねばならぬということ。
わたしは後者である。
自分が悪いということ、自分の踏ん張りがゆるいということ、自分が弱いということ、自分が人よりも劣っているということ。
しっかり認めて、そして対処せねばならぬ。
性格を変え。考え方を変え。行動を変え。
それができれば苦労はない。
わたしは「それができれば苦労はない」と何度。如何なる場所で。言ってきただろうか。
サボっていません
やる気はあります
真面目です
これらも何度。如何なる場所で。言ってきただろうか。