のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

My friends

ホットケーキのお友達。

いない、いないと言いつつも。いるにはいる。
ただ、悪いお友達ではないけれど。みな一癖二癖あるようなお友達。もちろんホットケーキも一癖二癖どころではない。そんなホットケーキが一癖二癖あるお友達に付き合ってあげるほど、ホットケーキには精神的余裕がない。
昔はよく遊んだものだ。この先ずっと続くものだと思ったものだ。けれども、わたしはどこかでわかっていた。卒業すると離れることを。
このお話をしたとき、お友達は離れないように努力しようではないかと言ったものだ。そして、わたしも言ったのだ。
卒業後、お互いの立場が変わった。相手は社会人、わたしは学生。向こうは向こうなりに学生の呑気さ甘え自由さ、それ故の行動や発言が気に入らぬ。
わたしはわたしで、社会人で自由に生きているお友達の行動や発言が気に入らぬ。学生は暇ではないのだ、と。日々、忙しいのだ、と。社会人だからわからぬだろう、専門学生は苦しみばかりなのだ、と。仕事で大変なことはたくさんあるだろう、悩むこともあるだろう、翌日が憂鬱で仕方がない日もあるだろう、けれども仕事が終わればひとまずはフリーダムであろう、と。学生はそうもいかぬ、学校が終わっても終わりはないのだ。日々、四六時中、悩み苦しみ、そして時間に追われ、一息つく暇もないのだ、と。
その立場が故のすれ違いに、お互い控えてはいても。上手くはいかぬ。一癖二癖あるお友達。こちらが耐えねばやっていけぬ。しかし、一癖二癖以上にあるホットケーキ、耐える精神的余裕など皆無である。
そして、いつしか連絡も取らなくなっていった。
今、連絡すれば会うことだってできるだろう。
けれども。精神的負担でしかない。
今年の1月、妹とUSJへ行った。数年前にお友達と行った。楽しいとはいえ、忍耐であった。楽しかったとはいえ、帰宅後はへとへとであった。
妹とUSJへ行ったときに心から思った。こんなに楽な思いで遊びに行ったことはない、と。姉妹が故、である。
お話はそれるが。ピアノの連弾は兄弟姉妹の方が上手く合わせられる。それは「せーの」のタイミングがいちいち努力して合わさずとも。言葉なくとも。ぴったりと合うのだ。
それと同じで。相手が何をしたいか。疲れてきたか。空気でわかって、お互いに言葉なくとも、自然と合わせているのだ。歩調も会話も。意識せずとも。
思った。ホットケーキにはお友達付き合いは無理である、と。精神的負担でしかない、と。
お友達と遊びに行くのは、気分転換にであるとか、楽しみたいからであるとか、そういう気持ちでお出掛けするものだとわたしは思う。まともなお友達付き合いがなかったホットケーキにはほんとうのところはわからないが。
お友達と会って。精神的負担になり、お金も出ていき、時間も犠牲となる。なんのメリットがあるのだろうか。そう思うからこそ、お友達付き合いがまともにできないのだろうか。
そういうわけで。ホットケーキには。いない、いないと言いつつも、お友達はいるにはいる。しかし、電話しようだとかラインしようだとか。会おうだとか、遊ぼうだとか。関わりを持とうとは思わぬ。

そんなホットケーキのお友達は愛犬くんである。
さびしい人生だろうか。わたしは愛犬くんだけで満たされている。
愛犬くんに、人間のような汚らわしさがあるだろうか?嫌な駆け引き、嫌な欲、あるだろうか。
純粋である。すべてが純粋である。全力で「おかえり」と走ってくる。全力で「行くな」と出掛けるときにひき止める。全力で「うれしい」と大暴れする。全力で「いやだ」と抗議する。すべて全力で、すべて純粋である。なんの駆け引きもない。
素直で、真っ正面からぶつかってくる。
さびしいとき辛いとき、そばでくっついて丸まって、ペロペロと慰めてくる。楽しいとき嬉しいとき、一緒に走り回って喜ぶ。
汚れなどひとつもない。
精神的負担などひとつもならない。そりゃあ、お世話がしんどいなというときもある。おいしいご飯を作ってあげたくても、カリカリご飯で済ませる。
でも、愛犬くんにしんどいわけではない。人間の汚らわしさにしんどいのである。
わたしが今、あの汚らわしい狭い世界で、お薬を飲みながらも、辞めずに。うっとうしく思われるほど堂々と日々、なんだかんだと出勤できるのは。
愛犬くんがいるからである。

愛犬くんは、わたしの唯一のお友達。
相棒でもある。子供でもある。時には、ちびっこのくせに。お兄さんになるときもある。
兄弟でもある。
いっちょまえに、正義感のある子で。ちびっこのくせに。お家を守ろうと頑張っているときもある。

わたしには人のお友達なんていらぬ。ただ、精神的負担になり、お金が出ていき、疲れて、時間が犠牲となって、デメリットでしかない。

気を使って「あげる」のは、もう疲れたのだ。
相手にとって居心地のよいお友達になるのは疲れたのだ。

昔から言われたものだ。
ホットケーキといると落ち着くであるとか。
ホットケーキに相談するとすっきりするであるとか。
ホットケーキといると気を使わなくて楽であるだとか。
ホットケーキといると癒されるだとか。

そして昔お世話になった教師に言われたものだ。
もっと自分の好きなように生きろ、と。
人のことを察しすぎる、と。

理科の実験で。その教師が班分けをした。
仲よしであったお友達とわたしは、互いに。そんなに仲良くないお友達とペアになった。
それについてわたしは考えた。そして「わたしが勝手に思うに」と、その班分けの意味を、その教師とは違う教師にぽろっと述べた。
ぽろっと述べた教師がお世話になった教師に「こんなこと言っていたぞ」と伝えた。後日、お世話になった教師に呼び出された。
そして、上記の言葉を言われたのだ。わたしの考えが、教師がそういう班分けにした理由とぴったりと合っていたからだ。

国語の時間に教師に当てられた。なんで当てられたかは覚えてはいない。そうだ。どうして覚えていないのか。授業中に爆睡していたからだ笑
とにかく答えは「腕時計」であった。
わたしには思い付きもしなかった。答えなどわからなかった。なぜなら、爆睡していて、当てられた理由が理解できていなかったからだ。何を聞かれたのか、爆睡していて、記憶にない。わたしにはわからなかった。考えるにも、質問そのものがわからない。しかし。ふと、教師の仕草が目に入った。教師が腕時計をしきりに触っているのだ。その触れ方が気になった。なんだか違和感があったのだ。どんな違和感かはわからないが、なんだか違和感があったのだ。
どうせわからないし、と「腕時計」と試しに半分ヤケクソで答えた。その教師は驚いた。「よくわかったな」と。そりゃそうだ。爆睡しているから、わざと当てられて、おまけに質問も聞いていないのだから。
あとで、なぜわかったのかと聞かれた。「先生、腕時計ずっと触ってたやろ?その触り方が気になったから腕時計って言ってみた」、「腕時計、触ってたか?」

そうやって。物事に神経を張り巡らせて、観察して、考えて。都度都度、相手に合わせてきた。微調整を日々繰り返し。

でも、もうそんなことも疲れたのだ。

愛犬くんにはそんなことはしなくていい。
普通にお話をして。普通に触れて。普通に接して。
愛犬くんの全力に笑顔で付き合う。ただそれだけ。
愛犬くんは最高のお友達である。

人のお友達などいらぬ。

だから、ホットケーキはこうなのだ。
あちこちで上手く世渡りできず。
今の職場でもそうだ。揉めてばかりいる。

お一人様、慣れました。
どこにだって、行けますよ。さすがに遊園地や水族館とかは面白くないけど。

でも、お一人様のデメリット。
休憩のタイミングがわからない笑

全力でウロウロして、帰宅後にベッドへレッツゴーである。へとへとに疲れて。

そういうわけで。長々と書きましたが。
要は。わたしには人のお友達はいらない、愛犬くんがいればそれで良い、です。
なんと長いことか…。

では、また。
連勤、耐えてきます。

とりあえず、まずは。
おやすみ、です笑

戦いは夕方からですからね(@_@;)