のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

補中益気湯エキス顆粒の意味

補中益気湯エキス顆粒の意味を考えてみた。
効果は今のところ実感はないが。
サインバルタ1カプセルでは副作用がないかわりに何の効果もなかった。2カプセルに増量して少し効果が出た。あれいいな、これいいなと思えるようになってきた。まだ行動にうつすことができるような効果はないけれども。
ジェイゾロフトであれば増量であっただろう。けれども。サインバルタには躁転の危険性があるために、安全性を取ったのではないのだろうか。
あと一歩、上手く上がるのか。それとも躁転して、問題を起こすのか。きっとサインバルタの2カプセルと3カプセルのラインは綱渡りのように、上手く渡れるのかそれとも落ちるのか。そういったものではないのだろうか。危険をおかしてまで、増量するよりも、行動にうつすことができるのかうつすことができないのかはともかく。気分の底上げとして効果が出た。それで「よし」なのだろう。
補中益気湯エキス顆粒について調べてみた。確かに夏バテや体力の低下などに効果がある。精神面では気分の底上げが期待できるそうだ。体質に左右はされるが、体質と漢方との相性が良いと、わりと即効性のある漢方であるそうだ。
補中益気湯エキス顆粒が処方された対象は、生理前後の不調である。気分の落ちこみである。つまり。補中益気湯エキス顆粒を服用して効果が出現すれば、気分の底上げがなされるはずである。
ここまで考えて気がついた。個人的にはサインバルタ2カプセルは効果があったとはいえ、あと半歩や一歩である。3カプセルにすれば、自分が求めている活動性を得られるのではないかと思う。
けれども。実際のところ。3カプセルに増量すれば躁転するかもしれない、と頭の中で警告が鳴っているのも確かである。例えばの話。2.5カプセルなるものがあれば、それが適量なのではないだろうか。けれども、そんなものは存在しない。「若干」でキープするのか。2歩3歩と上がって、リスクをおかすのか。そんなリスクなどおかせるはずもない。けれども「若干」では、上手くいかぬ。
補中益気湯エキス顆粒の効果が上手く出現すれば。例えで出した「2.5カプセル」のかわりになるのではないだろうか。
直近の目的としては生理前後の不調を改善することであるが。長い目で見ると。サインバルタのサポーターなのではなかろうか。
補中益気湯エキス顆粒について考えた結果。こういった結論に至った。
デパス系の薬を頓服として処方する方法もあっただろう。リスクを承知でサインバルタ増量という方法もあっただろう。だが。どれも、わたしには高リスクである。仮に頓服としてデパス系の薬を処方されたとしたら。デパスでさえ、無茶に服用するのだから。その頓服がどう服用されるのか誰もが想像がつくだろうし。サインバルタに関しては躁転というリスクがつきまとう。
自己分析をしていて。わたしが仮に躁転した場合どうなるのか。活発的で意欲的で…というプラス方面の躁転に果たしてなるのか。
いや、わたしの場合はそうはならない。何事にもイライラして、何かがあればすぐに問題を起こすだろう。揉めたり、突発的なとんでもない行動を起こしたり。例えば、職場で問題を起こすだろう。自傷するかもしれない。あるだけすべてのデパスを服用ふるかもしれない。どれも、サインバルタ抜きで、己の心の内に潜んでいる傾向である。マイナス方面の躁転になるだろう。そう予想ができる。それは主治医も頭の隅にでも引っかけてあるのではないだろうか。
そういうわけで。補中益気湯エキス顆粒について。
いまいち納得ができずに今日を迎えたが。
よく考えてみれば。少し納得である。

2カプセルのサインバルタちゃんがちゃんと頑張ってくれたら、何も問題はないのだけれども。
そのサインバルタちゃんも、どうも頑張りがきかないみたいね。そういうサインバルタちゃんのサポーターとして補中益気湯エキス顆粒さんが任命されたのである。
このはもう。補中益気湯エキス顆粒さんのサポート力にかかっている。
補中益気湯エキス顆粒さんよ、うまくサインバルタちゃんをサポートしてやるのだぞ。

そういうわけで。休み明け。夕方から出勤なので。
憂鬱で仕方がない。デパスちゃんに頼りました。
これだから、主治医もへたに処方できないんだよ~泣

そして最後にかんがえた。
わたしがわたしとして。下の下の下であろうと。社会で生きていくには。お薬は欠かせない。
主治医は最終的にはお薬から卒業、病院から卒業を目指しているのかもしれない。
けれども。わたしがわたしである以上は。やっとこさであろうと。社会で生きていくには。お薬は欠かせないのだ。
赤ちゃんから今日まで。成長につれて形成されてきた「わたし」というもの。「わたし」という性格。これがある以上は、環境を変えようとも。根本が根本である以上。何も変わらない。たとえ、一旦。お薬や病院から卒業できたとしても。わたしがわたしである以上は。同じことを繰り返し。同じ処方のお薬のお世話になるだろう。
たかが。世の中に適応できない甘ったれのへなちょこホットケーキ。大きな病気や難しい病気であるわけでなし。たかが、世の中に適応できないだけのホットケーキ。
それでも。自分をある一定のラインで保つには。お薬は欠かせないだろう。
だから。主治医には悪いが。わたしは元気になりたいとは思ってはいても。お薬や通院をやめたいとは思わない。
精神的なお薬は科学的に脳内に作用して精神をととのえるだけのものである。
例えば。虫歯で痛みがあるためにロキソニンで痛みをSTOPして、日常を楽に過ごしていても。ロキソニンが切れたら痛みが復活する。虫歯をなんとかしない限りは痛みが改善されることはないのだ。ロキソニンは根本を治療するためのお薬ではなく、症状を抑えるためのお薬でしかない。
それと同じである。虫歯は最悪。抜けば終わり。
けれども精神的なものはそうはいかぬ。
生まれ変わるか死ぬか。そういうものなのだ。
自分を変えるということは、それほど困難であるのだ。衣替えじゃあ、あるまいし。夏になったら夏服、冬になったら冬服…と簡単に物事、環境に合わしていくことができるようなものではないのだ。
だから、みな悩み。そして、合わぬ人とは揉め合うのだ。みながスライムのように心が柔らかければ。
世界は平和である。この世の世界は平和であるか。
大きな世界、身近な世界共に。平和であるか。
常日頃。何かが起きている。物騒な何かが起きている。大きなことから小さなことまで。
つまりはそういうことなのだ。

どういうことなのだ笑

というわけで。補中益気湯エキス顆粒について考えてみました。
長々と考えてみました。

そろそろ寝なければ。職場で。
「(-_-)」こんな顔をしてお仕事せねばならなくなる。

寝るぞ寝るぞホットケーキよ。
耐え抜け、頑張れホットケーキ。

暫く引き込もって社会から逃げて。
優しい優しい愛犬くんとだけの世界で生きたい。