のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

こんな夜中に

一人、外で椅子みたいなところに座って
唐揚げを食べ雪印コーヒーを飲んでいる。
タバコを吸いながら。
こんな夜中に、こんな暗いところで。

お仕事の時の日課みたいなものである。
いつも、こうやって贅沢をする。
肥えるわ…。

蚊にやられながら。
今日は虫除け持参。

出勤するたびに何かしてくるのだもの。

昨日、海外ドラマを見ていた。
こんなセリフがあった。

「わたしに話しかけないで。仕事はするわ。仕事だもの。でもわたしに話しかけないで!」

相手がつい言い過ぎてしまって。そういうつもりじゃなかったんだけど言い過ぎちゃったと反省してるんだけど。言われた方は許せなくて。
そして、こんなセリフを言った。

このあと。言った方はいつも通りに会話して仕事しようとするけれど。言われた方は許せないから。
話しかけてきたら、言葉を遮って。仕事をする。
お互いに同じ仕事の道具に手を伸ばす。言った方が何か言う前に、言われた方がその道具を手ではらって。「どうぞ。わたしはこっちにするわ」と冷たく言う。顔を見ずに。

まさにわたしである。

仕事はするわ。仕事だもの。ちゃんと仕事はするわ。でもね、わたしに話しかけないで。

今日は店長がいたから。仕事をしてますアピールをしやがった。いつも、しないくせに。

わたしが先に出勤していた後輩に仕事の話をしていたら。その話を遮って、後輩に自分の話をしやがった。

閉店後。片付けもテキトー。あとからあとから始末するのはわたし。始末している間には、もう帰宅準備。そして「帰りまーす」。

これ、わたしの仕事ですか?

みんなの仕事ではなくて?

いや、もうわたしの仕事だったらそれでいいから。
わたしの仕事にしてくれたらいい。
オールスタッフに伝達してくれたらいい。
これこれの仕事はホットケーキの仕事だから手出し無用と。
そうすれば納得もできるさ。

わたしよりも、ずっとずっとさぼっている人間がいて。そういう人間にはさぼっているとは言わずに。
なぜ、その人間よりもさぼり度の少ないわたしが、さぼっていると言われなければならないのか。
そして、さぼっている人間になぜさぼっていると言われなければならないのか。

仕事をしない人間になぜグチグチと仕事について言われなければならないのか。
やってから言え。そうすりゃあ、まだ聞き流しもできるわ。

でも、店長はわかっている。社員もわかっている。わかっているから、わたしに仕事のやり方について、とやかく言わない。

言うのは仕事をしない人間どもだ。

大人げないだろうが。
わたしは約半年耐えた。
黙って耐えた。

もう耐えるものか。
やられたらやり返す。言われたら言い返す。

先輩だの後輩だの関係ない。

先輩だったらなにをしてもよいのか。

でもね。唯一の救いは。お客さんかな。
接客嫌いだけど。お客も嫌いだけどね。
気がついているお客さんはいるみたいで。優しく接してくれるお客も最近、増えた気がする。
だから、それが救いかな。

店長も社員もわかってきて。表立ったやり口はきかなくなってきたから。わからないような裏工作を始めた。

それこそ「仕事してますアピール」みたいなこと。

どこかの記事に書いたっけ。

わたしが引継ぎノートに書いたら誰一人、ハンコ押してくれなくて。
わたしのあとに誰かが書いてやっと、お昼の人と社員だけがハンコ押してくれたって。

誰だっけ?読んだらハンコ押せとうるさく言った人間は。
わたしが書いたものにハンコを押さなかった人間どもだ。

昨日、新たに書いた。
わたし以外が書けばすぐにハンコを押すくせに。
誰一人、ハンコ押していない。

大人げないだろうが。
わたしは、やられたらやり返す。もう耐えないし、にこにこ穏やかホットケーキでいるのもやめた。
わたしの書いたものにハンコを押してくれた人が書いた内容にだけハンコを押す。
ハンコを押さなかった人間が書いた内容にハンコなど押してやるものか。
大人げないだろうが。

大人げないだろうが。
みな相手はほぼ50代である。
それが20代に手を取り合ってしてくるのだ。

20代のわたしが大人げなくても。
もう良いのではなかろうか。

こうなれたのは。ジェイゾロフトのおかげである。
ここまでしなきゃあ。ここまでならなきゃあ。
あそこで勝負などできぬわ。

誰が負けるものか。
わたしがうっとうしいか。
そうだ、もっとうっとうしく思えばいい。

打ちたくなる杭や摘みたくなる芽になってやる。

全力で馬鹿みたいに、暖簾に腕を押していればいい。

ホットケーキは覚醒したぞ笑

というわけで。帰ります。

もう1時間もひとり座っているよ。
不審者だわ、わたし…泣