のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

最高のひとときを

「最高のひとときを」と書かれた広告を見た。
「最高」もわからぬが「ひととき」もわからぬ。

「心地よいひとときを」と書かれた広告も見た。
「心地よい」もわからぬが「ひととき」もわからぬ。

薬中、依存症、依存者。
気のせい。何もないのに何故薬が必要なのだ。
そんなに元気なのに何故薬が必要なのだ。
気のせい。眠剤は「飲んだ」という思い込みで眠れるだけである。
気のせい、思い込み。薬で記憶は飛ばない。
薬、薬、薬。薬漬け。元気なくせに。

……などと言われるわけである。目の前で薬を飲む姿を見せようものならなおのこと。
ロキソニン1つ、便秘薬1つ、かぜ薬1つ。何にしても。

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わたしが1日に服用する薬の種類である。


〔1日量として〕

抗うつ剤
サインバルタ30㎎:2カプセル
セルトラリン50㎎(ジェイゾロフト):2錠

[安定剤]
エチゾラム0.5㎎(デパス):2錠
ロフラゼプ酸エチル1㎎(メイラックス):1錠

眠剤
ベルソムラ20㎎:1錠
レンドルミン0.25㎎:1錠
ゾルピデム5㎎(マイスリー):2錠

[胃腸薬]
セレキノン100㎎:3錠

[アレルギー薬]
ベポタスチンベシル酸塩10㎎(タリオン):2錠

抗うつ剤とは何ぞや、安定剤とは何ぞや、眠剤とは何ぞや。
少し調べれば「何ぞや」はわかる。各種性質・性格がわかる。

頭痛→ロキソニン→頭痛消える!

などと単純ではないとの認識は誤りか。

抗うつ剤血中濃度が一定になってから効果が出る。一定にさせるために飲み続ける必要がある。「しんどい」で飲んでも効きはしない。血中濃度を一定にして効果が出たのち、ストップして離脱症状。その「しんどい」でも安定するまで時間を要す。

安定剤は「しんどい」で飲んでも効果が出る。

眠剤は様々な性質・性格を持つ薬が複数ある。長時間効く、短時間のみ、その間、飲み続けることで睡眠サイクルを一定にする……など。

そして各種それぞれ効果は同じでも分類が異なる薬がある。
各種それぞれジャンルがあって、またジャンルごとに性質・性格がある。

語るよりも調べた方が早い。

わたしが何故「そんなに元気」なのか。少し調べればわかるだろうに。

「こんなにしんどい」わたしが、これだけの「薬」。
「そんなに元気」なおまえは、そんなにもの「薬」。

そもそも何故、増えるのか。

医者は言った。あなたのお母さんなのに、あなたがあなたのお母さんのお母さんに、ならないといけないのね。

わたしは時に母親の母親、時に母親の旦那さん、時にお嫁さん、時に自立不可能で親に依存せねば生きていけぬ小さい子供、時に母親の友達、時に母親の兄弟……と、たくさんの役を持つ。母親のその時々に適した役でなければならない。

つまり、わたしは「わたし」ではない。母親にとって都合の良い適した役を「演じるわたし」でなければならない。

「わたし」として生きたい。しかし生まれてから今まで、修正しながらずっと培ってきた「役」。わたしは、どう生きていけば良いのかわからない。どの「役」で生きれば良い。どの「役」が「わたし」であるのか。「わたし」はどこにいる。「わたし」とは何だ。「わたし」は誰であるのか。「わたし」とはどういうものであるのか。

「わたし」がわからぬ。自分で自分がわからぬ。

返してくれ、「わたし」を。

ならば作るな、わたしを。産むな、わたしを。
「わたし」として生きる権利はあるはずだ。「わたし」を培っていく権利はあったはずだ。

親は勝手に性交をして「子供」を作る。
しかし、「子供」となる魂は自ら選んで、その「子供」の中に入る。ここの「子供」が良い、と選ぶ。

……らしい。

親は勝手にいちゃついているだけである。「子供」となる魂は大きな重荷を背負いながら、「子供」を選ばねばならぬ。どんな魂であっても、幸せになりたいはずだ。幸せになれる「子供」を選びたいはずだ。しかし、そんな好き勝手は許されぬように思う。「魂」として相応しい「子供」を選ばねばならぬように思う。親は勝手だ。魂は、こんなにも重い決断をせねばならぬというのに、親は楽しくいちゃついているだけである。そして作られたのちは「荷物」である。捨てられぬ「荷物」。親にとってはメリットは何一つない。犠牲ばかりである。なくすもの、出ていくもの、そんなものばかりである。
しかし、それは勝手に楽しくいちゃついた結果の責任ではなかろうか。楽しんで、あとは知らない。なんと身勝手な。楽しくいちゃついている間、魂はこんなにも重い決断をしているというのに。

宗教のような話になってしまったけれど。わたしは無宗教なので、どこぞの何かの話を引用しての例え話である。

マイスリーが効いてきた。

しかし、本日は効きが悪い。フル回転思考がマイスリーの邪魔をしている。

時おり思う。いや、常にか。
スマホやパソコンのようにシャットダウンや再起動ができれば良いのに、と。

そしたら、フル回転思考も止められる。

寒いのでクーラーを切った。暑いからクーラーをつけた。
そしたら寒くなった。クーラーを切ったら暑くなった。
暖房は簡単だけれども、冷房は難しいね。

昔はキンキンに冷えた冷房が平気で、かつ好きだった。
今でも好きではあるが、からだが耐えられぬ。

暑いのでクーラーをつけましょう。