のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

平成が当たり前

今週のお題「#平成最後の夏」

平成になって3年目の冬に生まれた。当たり前に平成を生きてきた。故に未だに今年が平成の何年か、調べねばわからぬ。
平成になっての数年、平成になるまでの数年に生まれた微妙な我々世代は、運が良いのか悪いのか。とにかく変におめでたい。様々な意味で。
20代後半から30代前半。一番、盛りの年代である。輝くことも、飛び出すことも、新しい世界へ行くことも、逃げ出すことも、安定を求め維持することも、どうにでもなる世代である。しかし、ここでの選択が今後の年代がどんな人生となっていくのか。左右される。
人生を決めるのは、なにも学生時代だけが重要ではない。学生時代での選択は知識や経験のための選択。我々世代の選択は今後の人生のための選択。

さて、この夏は何か選択をしましたか。

わたしは1つだけ無駄な選択をしました。選択というよりも、目標かな。
6月末に自動車事故を起こしました。
〔わたし:相手=30:70〕の自動車事故でした。解決までそれはそれは面倒でした。最近、やっと解決となりました。そんな話はどうでもよく……。
代車に乗りました。2週間程。ホンダのライフでした。ハンドルの楽さ、右左折前進後退の楽さ、車内環境の快適さ、加速減速の楽さ……などなど、「ホンダ」に感激し、このまま代車を返さないでやろうかなどといった悪魔の囁きもあり。
初めて「車」に興味を持った夏。今までは動けば良い、乗れたら良い程度でしかなかったものが、「ホンダの車が欲しい!」と「車」に興味を持ちました。そして、ほぼ現金のみで購入できる程の貯金をしようと決意し、毎月通帳を見ては「まだか……」と思い続ける夏後半。通帳を見るたび。
きっと新しい車で道路を走ると、楽しいんだろうなあ。きっと新しい車がきたら可愛いんだろうなあ。
とまだまだ先のことであるというのに思いを飛ばしている。

夏らしいことは何一つしなかった。
夏みたいな冬ですよ、と言われても違和感のない程。

死ぬ前の弱った蝉が車の前に、バタバタと飛んで飛びきれずに道路上に落ちた。なんだか、かわいそうなので、ほれほれと道の端に避けた。姿勢を整えてあげたのに、バタバタと飛んで飛びきれず、すぐにひっくり返って、元に戻れない。本当に死ぬ前の弱った蝉。そっと背中を掴んでも暴れない、鳴かない。近くの公園の木に足をつけてあげると、ゆっくりと上へのぼっていった。そのあとはどうなったのかは知らない。木に掴まった蝉、手を離したわたし。木にくっつくことができてホッとしたように見えた、思えた蝉の背中。
なんだか「かわいそう」という気持ちから「かわいらしい」という気持ちへと変化。しばらく、その蝉を見つめていた。

夏らしいといえば、これくらいであろうか。

この蝉も平成に生まれた6年?7年?と土の中で生き、僅か約1週間、外の世界を飛び、平成最後の夏に死んだ。

彼か彼女かは知らないが、この蝉も立派な平成っ子であった。

平成が終わろうとも、人生は進んでいく。

大きなイベントなのだろうが、人生の中ではごく小さなイベント。

今に相応しい年号ではなく、今後の願い、目標、導べの意味がこもった新年号だと良い。

そんな夏の終わり。

平成最後の大晦日となると、もっと大変だろうな。