わたしのこころの正体は
適応障害で苦しんでいらっしゃる方には、このような物言いは、大変失礼である。
他の方はきっと、たくさんの立ちはだかる壁に心がギブアップ状態になられているのかな。もうダメ、ついていけないって。そういう意味の「適応」かな。
でもわたしの場合の「適応」は。あらゆる物事に対して、適応する能力がないという意味の「適応」。
能力があるけれど、たくさん嫌なことがありすぎて、辛いことに向き合う元気、片付ける元気がなくなっちゃったという意味の「適応障害」
あらゆる物事に対して適応する能力がないために、小さなことで躓いて転ぶ、また転んだあとに立ち上がる能力もない、物事に対して適応していけないという意味の「適応障害」
みなさんは前者だから、胸を張って「わたしは適応障害!」と言ってもいいのです。
こんな辛いことがあった、こんな嫌なことがあった、だから元気なくなっちゃった、って。
わたしは後者なので。
「適応障害です!」と言うと、欠陥人間ですと自分で言っているような気分です。
あなたの精神面が人並み以下であるだけでしょう?または、わたしの精神面は人並み以下です。
でもね。不満はない。
正しいもの。
人並みのように生きていけていない、これが証拠だもの。
そうでなければ、今ごろ。社会の歯車の一人として、物事に日々立ち向かっている。
実際、嫌なことも辛いこともたくさんあったけれど。
わたしがもっと強ければ、なんてことのないこと。
ぶちのめしている。
弱さゆえの結果。弱さというよりも、欠陥かな。
欠落、不良品、出来損ない……表現方法はたくさんある。
仕事をしていたらしていたで、心がやかましい。
要休養が出たら出たで思考がやかましくて結果、心もやかましい。
これが。要休養が出た者のさだめかな。
みんな、どうやってここから持ち直すのだろう?
欠落人間なりに、約1年半、全力で突っ走ってきた。急に立ち止まって。
何をすればよいのかわからない。
新たなる職探しは別として。
あーこれも気が重い。
また1から始めなければならない。また1から突っ走っていかなきゃならない。
お金さえあれば問題ないんだよね。
好きなことできるんだもの。
でもね、わたしがわたしである以上は、なにをしたって結果は同じなんだなあ。
人並み以下のことしかできないわたし。
人並みのこと、人並み以上のこと求められても
人並み以下しかできないのに。
「わたしが死ねば、一時は悲しいかもしれないけれど、時間が経てば負担が減って楽になるでしょ、どれだけの金食い虫だったかって」
よく思ってたなあ。
愛犬くんも、わたしがいなくなったあとの心の傷や寂しさは計り知れないけれど。
きっとわたしがいなくなっても、可愛がってくれる人はいる。
押し付けになるけれど。妹だって、可愛がってくれる。
愛犬くんと離れたくないのは確か。
でも、愛犬くんも、わたしじゃない方が
幸せなのではって。
あーダメだ。負のモードに入ってしまった。
実はこの記事を書いている途中で問題が起きて。
お家での問題だけど。
きっとみんな。わたしが無事に生まれるようにって、いろいろしてくれてたんだと思うよ。
だけど、この世に生まれる前にどうこうなってた方が、その時のショックは大きくても
「今」は良かったんじゃないか、なんて。
わたしに悩まされることもなく。
わたしという金食い虫もそもそもいない。
どこぞの誰かは知らないけれど。
神様なんて信じていないから。
わたしにどんな思いをさせてどんなことをさせるために、この世にわたしを作ったんだろうか。
他にも役に立つ者がいただろうに。
どうしてわたしにしたのだろうか。
このまま目を閉じて普通に寝て。
わたしというものが終わったら。
みなどう思うだろうか。あの世でどう責められるだろうか。
わたしは悪いことばかりしてきたので。
あの世でも、今とたいして変わらないどころか、もっと酷いのかな。
生きてても死んでても結果は
苦しむんだなあ。