こればかりは
普通の人でも、しんどいときはある。
わたしと、その普通の人のしんどさはどう違うのだろうか。
きっと違いはないのだ。処理法の問題であって。
とはいえ。しんどいものは仕方がない。
わたしたちだってしんどいのだ。でも、あなたたちは処理法を知っているでしょう?
こればかりは。なってみないとわからない。この辛さは。
とわたしが言うと大袈裟か。診断名もなにもない、ただのわたしが。
理解は求めない。求めないが、知ることくらいはしてほしい。
薬を飲めば。はい、すぐに元気。とはいかないのだ。薬を飲んでいるから。常に元気。ともいかないのだ。
眠剤飲んで寝て。翌日すっきり爽快。と、思うだろう。あれだけ寝てよいではないかと。
映画を見た。主人公が精神的に不安定になり救急外来に受診する。なにか薬は?と医師が問う。主人公が答えた。2週間ほど前までゾロフトを、と。どうしてやめたのかと医師。元気だったからもう必要ないと思ったと主人公。医師が言った。「元気だったからもう必要ないと思った」ことがゾロフトの効果だ。元気なのではない。
わたしは人から見ればとても元気に見えるだろう。
なぜ薬が必要なのか不思議だろう。
こんなにも元気なのになぜ薬が増えていくのか不思議だろう。
そんなわたしは薬で作られている。
わたしだってしんどいときはあるのだ。
いつもいつも元気なホットケーキではいられない。
穏やかで寛容なホットケーキではいられない。
いられないのにいなければならない辛さ。
わからないだろう?
誰もわからないだろう。
元気そうに見えるだろう?
だから不思議だろう。
元気でないわたしなど想像もつかないだろう。
仮病に見えるか。ワガママに見えるか。
無理に作りたくとも、作れない笑顔。
無理に喋りたくとも、喋られない口。
無でいたいとき。