のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

贅沢か

仕事に行けているだけでも良いと考えるべきか。
人並み以下の仕事しかできないと考えるべきか。

言われた通りのシフトは休みなく行っている。

跳ねるように自転車に乗って行くときもあれば。
巨大なスライムでも乗ってるのでは、というように這うような思いで自転車に乗って行くときもある。

「勤怠」で見れば。どちらも問題なく出勤している。

「モチベーション」で見ると、どちらも問題である。
一定した精神状態で勤務できないのだから。

確かにお金は欲しい。必要でもある。
本音は仕事は負担である。重い石が胸のあたりに埋め込まれているような感覚である。

もともとは。3時間程度の週3~4日ほどの勤務だった。お金は足りないが、精神的には重い石の大きさが少し小さかったように思う。
月に何時間だっただろうか。60時間いけば今月はよく働いたと思っていた。

今は月に何時間入っているだろうか。100時間いけば今月はよく働いたであろうか。

世の中の人からすれば。しれた勤務時間である。

わたしにとっては、へとへとである。

お金は増えた。それは良い。誰だってお金は欲しい。

主治医は簡単に。今の職場をやめて新しい仕事をという。今の職場が決まるまでどれだけ苦労したか。
面接が通るだとか通らないだとかだけではなく。精神的にも。

仕事に行けているだけでも贅沢か。

巨大スライムを背負ってズルズルと這うような思いで出勤していても。休まずに出勤して、早退せず退勤する。

だから「元気」なのだろうか。

元気ではないと思ってもらいたいわけではない。

クオリティが違うということを少しで良いから配慮してほしい。

1日しんどくて起きられない。
→1日眠れて良かったね、寝ることが気分転換になってるのね

そうではない。1日「しんどくて」起きられないのだ。同じ眠れていても。クオリティが違う。
1日「寝たいから」起きられないではない。

ああ。こういうことをQOLというのかな。
生活の質。自分がこうなって実感するとは。

学生時代、疾患ばかり意識させられて。視野が狭くなって。患者さんが恐怖対象になった。
リハビリして歩けるようになった、それで良いじゃない。
ではなくて。リハビリして歩けるようになって、遊びに行けるようになった、にしなければならない。
その人がしたいこと、なりたいことに向かって、どうしていくのか、だったんだなあ。
だから、needとhopeが患者さんの全体像を見るうえで重要だったのだ。今、患者さんは何を希望しているのか。今、患者さんに何が必要なのか。患者さんの希望を叶えて、患者さんに必要なものをクリアする。そのためには、どうするべきか。できないのは、今何が問題になっているのか。その問題に何をすればneedとhopeがクリアできるのか。
今ごろわかるとは。皮肉である。
わかったところで。学生をリベンジしたところで、結果はわたしがわたしである以上、何も変わらないが。

とってもお世話になったバイザーがいた。
そのバイザーに伝えたいことはあるなあ。

「とてもとてもお世話になったにも関わらず。実習がクリアできず、結局。退学しました。あれだけ親身に丁寧に接してもらって、たくさんのことを教えてもらって。飛べないわたしに翼を作ってもらって、羽ばたきかたを教えてもらって、羽ばたかせてもらった。
だけど、結局。自分で翼を壊してしまって、羽ばたけなくなりました。
その後、精神的に調子を崩して。今は通院しています。仕事はほどほど程度でやっています。日々、自分の気分に振り回されています。主治医は、こう言いました。仕事には問題なく行けているんでしょ?と。
今ごろになって気がつきました。QOLとはどういうものか実感しました。ただ歩行可能というだけではダメだということ。歩いて患者さんが何をできたかが重要だということ。歩けるようになって、患者さんがしたかったことのうちどれだけできるようになったのかが重要だということ。歩けるようになって、生活がどれだけ明るくなったのかが重要だということ。ただ歩行可能というだけではダメ。今ごろになって、気がつきました。せっかくあれだけ教えてもらって、結局、こうなってしまってとても申し訳なく思っています。ほんとうは。あのままストレートに理学療法士になって。立派な理学療法士の顔で。お世話になりましたと言いたかったです。ただの「人」以下になってしまいましたが。ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。」

歩いて遊びに行けるようになりたいなんて贅沢だ、歩けないものが歩けるようになっただけ良いではないか。世の中、歩けないままの人はたくさんいるのだ。おまえは歩けるようになったではないか。それを歩いて遊びに行きたいなどと、贅沢すぎる。

贅沢なのだろうか。