のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

ほこり

誇り。いえ、ホコリの方です。埃、塵。

わたしは思う。ほこりのように、ただこの地球上に居さえすればよい。居さえすればよい。居ればよい。自然と消える時が来るのだから。

喉が渇くから水分を摂る。お腹が空くから食べる。眠いから寝る。楽しいから何かする。
喉が渇かない、なぜ水分を摂る必要がある。お腹は空く、でも何故食べなければならない。眠くない。楽しくない。
体のため、心のため。何故、からだや心を考える必要がある。生きるため。誰かのため。誰もいない。何故、生きるために、何かをしなければならない。
ほこりで良いではないか。ただ、地球上に居さえすればよい。
人間の疑わず当たり前にすること、それがわからない。
飲みなさいと言われても、喉が渇かない。喉が渇いたら飲めばよいはダメなの?食べなさい、栄養を摂りなさいと言われても「何故」がわからない。倒れなければよいはダメなの?カロリーさえ摂っていればよいはダメなの?

ほこりで良いではないか。ほこりのように、ただ地球上に居さえすればよい。中身など、もう空っぽなんだから。

わたしはタフである。弱ければ、どこかで何かが壊れている。
なんだかんだで壊れずに、なんだかんだで生きている。
わたしはタフだ。

誰もわたしのゆでたまごになど気が付きはしない。

激激激痛の抗炎症剤の注射を以前、左手の手のひらの人差し指の腱鞘炎に打った。効果発揮されず、再発した。注射を今後打ったとしても再発の可能性が大きく、手術となった。
わたしは麻酔が効くまで時間がかかる。麻酔をして、手術が始まり、終わって帰ったころに効いてくる。時間差で効く体質。手のひらの局所麻酔での手術は日帰り。しかし、麻酔が思う時間に効かない。肩から神経に麻酔をする伝達麻酔というものがあって、これは腕全体に麻酔が効いて、効きが悪いと手のひらに局所麻酔を打てる。でも薬剤は同じなので、効くまでの時間は同じ。結局、どちらもできず、全身麻酔しか方法がなかった。しかし、前日に喘息が出て中止。手術延期の方向。とはいえ、延期したとて喘息が出ないとは限らない。むしろ、この時期は出やすい。
ということで。二泊三日の入院。二日目の朝一番から伝達麻酔を打ち、効くまで待ってから昼頃に手術。感覚だけでなく運動の神経も腕全体で麻痺して、ベッドから動くことは禁止。せいぜい座るかトイレ。夜中まで効いていた。三日目、麻痺がきれて痛み。痛み止め痛み止め痛み止め。朝と夕方に抗生物質の点滴。その後、三日目の夕方に退院。

手術部位は手の末梢で歯医者での虫歯の治療程度でしょう。主治医はそう言うと怒るだろうけれども。実際に怒られた。
でも、その前後ではいろんなことがあった。24時間点滴、術後は腕はただの「物」の感覚。ちぎっても転がってもわからない。ちぎれた腕を見ても自分のものだという感覚もない。そういう麻酔。術後は発熱。退院日は痛み。
意外と忙しく大変なのだ。

わかってくれとは言わない。しかし「たかが」はおかしくはないか。

使えないわたしはうっとうしとのこと。邪魔だとの事。

性格がしつこいから手の傷もしつこいとの事。

大切に大切にとしていた。早くよくなりますように、と。

でも、何故そこまで大切にしなければならなかったのか。

ほこりのように、ただ地球上に居さえすればよかったのだ。

左腕は傷だらけだ。自分で傷をつけている。そんな左手の腱鞘炎。自分で傷をつけなくとも、傷になっているではないか。何故、治療しようとした。矛盾している。

でもね、主治医が一緒になって頑張って綺麗にしてくれたから。ここだけは、守るよ。

わたしのゆでたまごになど気が付きはしない。誰も。

わたしの大丈夫も大丈夫じゃないも、そもそも言葉ですらないのだ。「大丈夫」「大丈夫じゃない」と言ったところで、言葉ですらないのだ。ただの音である。

オオカミ少年はオオカミ!オオカミ!と嘘をついて遊んでいたから、皆が信じなくなりオオカミに食われて死んだ。
わたしは嘘をついて遊んだことはないが、皆が信じなくオオカミに食われて死ぬ。食われて死ねばよい。血だらけで横たわって生きていても、きっと「しっかり生きろよ、みっともない、早く動け」である。

皆にはゆでたまごがある。しかしわたしにはゆでたまごがあるはずなどない。それが皆である。

もう、ほこりで良いではないか。地球上に居さえすればよいのでしょう?

昨日、一昨日。明日、明後日。どれも一緒。
わたしには何もない。