のんびりdiary

日々、思い悩み感じたことを綴ります

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

雪が降っている。花吹雪を嵐が庭に散らしている。じっと眺めた。ふと、思った。降っているのは、実は歳をとっていく自分であるのだと。

忙しく時が過ぎていく。何度目の年末であろうか。
1分1秒など、構ってはおれぬ。日々、終わらせることに必死であるのだ。気がついた頃には新しい季節となっている。

気がついた頃には季節が過ぎ去っていた。
ああ、ふと思った。無駄に年ばかりが過ぎていく。桜が咲き散る、雨が続き梅雨となる、ジンジンと蝉が鳴きあっという間に静かになる。
見渡せば辺りは赤や黄色の葉がたくさん落ちている、クリスマスが来て余韻に浸る間もなく大晦日、あっという間の新年、あっという間の三が日。雪がはらはらと降る、溶けるとすぐに春の草が顔を出す。

気がつけば、再び桜が咲き始める。

これらすべては、自分が年老いていく証である。
今年は何があっただろうか。確かに様々な事があったのは事実である。しかし心に残る良い何かはあっただろうか。
思い返すも思い出せぬ、思い付かぬ。
つまりは、無駄に1年が終わったということである。
そう、繰り返し年老いていくのである。
季節の移り変わりは、年老いていく自分の鏡である。
17、20歳と無邪気に何事も考えず、その日暮らし、その時暮らしであった自分も早くも責任世代である。にも関わらず、やっていることに違いなどない。
わたしは。いつになればしっかりと地面を足底で踏みしめ、顔を上げ、胸を張り、まっすぐ前を見据え、生きていくことができるのであろうか。誕生してから、幾年が経過。
なにも変わらぬ。

桜の花が落ちる、雨粒が落ちる、蝉が木から落ちる、赤や黄色の葉が落ちる、雪が落ちる。
すべては、まるで自分のようである。様々なものが落ちていくたびに、わたしの年齢も嫌でも降り注ぐ。
落ちたものを拾ってくれる人などいない。

つまりは。
この先、こうして無駄に時が過ぎていくだけであるのだ。
一人で耐えつつ。